【風のとりライブラリー】
~クリニックの蔵書にある本を紹介しています。~
蔵書は全て貸し出し可能ですので、機会があればぜひ読んでみてください。
塩田 武士 著
子どもを事件に巻き込めば、その分、社会から希望が奪われる。「ギン萬事件」の罪とは、ある一家の子どもの人生を粉々にしたことだ。 ~第七章より~
ある日、クリニックのお昼休憩のお菓子タイムで、「グリコ森永事件」のことが話題にあがりました。 30代のスタッフはこの事件を知らず、年配組との世代の差を笑いあいました。 私は当時小学校低学年で、この事件の間はお店の棚からお菓子が消えてしまったことや、 事件のあとにはお菓子ひとつひとつがフィルムでパッキングされるようになったことを覚えています。 ただし恥ずかしながら、この事件が2000年に時効を迎え「未解決事件」となっていたことを含め、事件の詳細に関してはほとんど知りませんでした。
「グリコ森永事件」は1984年に起きた、複数の食品会社に対する企業脅迫事件です。犯人グループは、 江戸川乱歩の小説からネーミングしたと考えられる「かい人21めんそう」の名のもと、誘拐や身代金要求、 お菓子に毒物を混入する、などの数々の犯罪を繰り返し、警察やマスコミを挑発し続けました。
「罪の声」はこの「グリコ森永事件」をモチーフとしたサスペンス小説です。フィクションですが、 圧倒的な取材量を背景に事件の細部にわたるまで綿密に描かれており、どこまでが本当でどこからが作り物なのか全くわかりません。 事件では企業恐喝に子供の声を録音したテープが実際に使われました。今回「罪の声」の主人公である俊也は、 声を録音された3人子どものうちの一人と設定されており、事件当時6歳でした。「3人の子どもの声」「ハイネケン誘拐事件」「学生運動」「株価操作」 などをキーワードに物語は展開し、読み手は話に引き込まれていきます。 テープの声の子どもたちは私と同年代です。読みすすめるうちに事件が他人事とは思えなくなってきました。
この小説は映画化され、現在上映中です。小栗旬さん、星野源さんをはじめ、そうそうたる俳優さんたちが出演しています。 「サスペンスものは怖いし、映画館で大画面で観るなんてとても耐えられない!」と、普段サスペンス映画を観に行くことはまずない怖がりの私でしたが、 このときばかりは映画館に足を運びました。結果、2時間半はあっという間で、本当に素晴らしい映画でした。「単なるミステリーではなく、 過去から未来へ連なる様々な人間たちの人生や願いを描いていることが、この作品の特別なところだと思う」と監督の土井裕泰さんか語っていますが、 その通りだと思いました。小説、映画、どちらも素晴らしく、深く深く考えさせられる作品です。
「罪の声」はモチーフとなった事件を知っている人も知らなかった人もぜひ読んでみてほしい本です。 小説と映画のパンフレットをクリニックの蔵書に加えておきますので、ぜひ手にとってみてください!
2021年01月04日 大西 桜
西加奈子 著
「家に招待を受けたのに、反対に僕がヤコブを招待することはなかった。僕は恥じていた。
きれいなシャンデリアを、磨かれたアップライトピアノを、なのにヤコブの家にある柔らかなものが欠如した空間を。あの「不穏」を。」
~第二章 エジプト、カイロ、ザマレク より~
学生時代、友人とインド料理を食べに行った店で、民族音楽の生演奏をしていたバンドと出会いました。演奏のあと、思わずメンバーに「良かったです!」と声をかけてみると、メンバーは全員ネパール人で豊田市に住んでいて、彼らの家は私の家からそう遠くない、ということがわかり、一気に話に花が咲きました。リーダーのヒラ・タパさんは、流暢な日本語で「ぜひ私たちのアパートに遊びに来てください!」と、心から嬉しそうに初対面の私たちを家にまで招待してくれました。数日後、私と友人は約束通りヒラさんのアパートを訪れました。
それから約2年の間、私たちはヒラさんとネパール人の仲間たちと、とても親密な交流を持つことになりました。
ヒラさんのアパートはかなりの築年数で、トイレや洗面は共同でした。バンドのメンバーは同じアパートの住人で、ヒラさんと奥さんのチャンドラさん、お隣のデューマンさんと奥さんのヴィシュヌさん、家族をネパールにおいて単身出稼ぎにきているカマールさん、独身男性で彼女募集中のサイモンとプロモード。皆ビザの期限はとっくに切れている不法滞在で、外国人労働者として市内の工場や工事現場で働き、ネパールの家族に仕送りをしていました。アパートに遊びにいくと、だいたいヒラさんの部屋に仲間が集まっていて、ご飯のときは畳の上に机代わりに風呂敷のような大きな布をひき、奥さんたちが作ってくれたネパールカレー(ダルバート)をみんなで輪になって食べました。ダルバートは最高においしく、歌を歌ったりギターを弾いたり、いつ行ってもとても楽しかった!他愛のないことを話しているだけなのに、あんなに心から笑ったのは、家や学校では経験したことがありませんでした。皆、とにかく人懐こく、いろいろと自分たちのことを教えてくれました。ネパール人は苗字で民族がわかる、ということで、「私はマガル」、「僕はグルン」、「私はタマン」、「私はネワール」、「僕はシェルパ(シェルパ!それまでヒマラヤ山脈に行かないと会えない人たちだと思っていました!)」と口々に自分の民族を教えてくれました。おかげで私もすぐにネパール人に苗字を聞いただけでその人の民族がわかるようになりました。でも、バフンやチェトリといった、いわゆるヒンドゥー教の「高位カースト」に属する人はあまり出会いませんでした。ヒラさん夫婦は息子のサンディープ君をネパールにおいて出稼ぎに来ていて、サンディープ君が赤ちゃんのときからもう長い間会っていない、と言っていました。(そんな切ないことを笑顔で教えてくれました。)他にも、ヒンドゥー教徒は牛を食べてはいけないけど日本に来てから食べちゃっていること(「牛を食べちゃいけないのはインドから来たヒンドゥー教の人たちでしょ。私たちは一応ヒンドゥー教だけど、昔からネパールにいた民族ですから!」とゲラゲラ)、皆日本の酒は「赤い顔の酒」(「鬼ころし」)が最高においしい!と思っていること、奥さんたちは恥ずかしいからあんまりレストランでのバンド演奏はしたくないと思っていること、などなど…。
長久手の愛地球博に行ったとき、ヒラさん達が「パスポートがないのにアメリカに入国~!」と喜んでいたこと、
足助香嵐渓でバーベキューをしたとき、酔っぱらって沼に入ったサイモンと私が一緒におぼれかけたこと、
奥さんたちが私と友人にマガル族の民族衣装を着せてくれて、「いいよ~、素敵だよ!」とみんなが口々に褒めてくれたこと、
ネパールのお祭りのとき、大いに盛り上がってみんなで民族音楽にあわせて踊ったこと、
パーティのあと、ヒラさんの家の床で朝まで寝ていたこと、
全て心に残る大事な思い出となりました。
私はそれまで、こんなにあけっぴろげの親切心に出会ったことがありませんでした。
私の家は比較的厳格で、家に遊びに来る私の友人の学歴が乏しかったりすると両親が友人を嫌な目でみることがあったので、私は幼少期からあまり家に友人を呼びませんでした。なので、不法滞在者のネパール人たちなどとても家に誘えなかったし、家での会話にも一切出しませんでした。ネパール人のみんなは家族のことをなんでも教えてくれるのに、私はすぐ近くで一緒に暮らしている自分の家族のことを、彼らに話せませんでした。
当時の私は、豊田の不法入国のネパール人たちに精神的に完全に救われていました。貧しい彼らなのに、いつもお腹いっぱいになるほどのダルバートを御馳走してくれ、心地いい空間の中で、無理なく私を本来の自分のままでいさせてくれました。
楽しい日々は突然終わりました。
ヒラさんのアパートに警察がきて、アパートのメンバーは皆、突然ネパールに強制送還となってしまいました。
私は別の場所に住んでいたネパール人からヒラさん達の惨状を聞き、慌ててアパートに駆け付けました。でももうそのときには住人は誰もおらず、ヒラさんのアコースティックギターやお気に入りのカバン、いろいろなものがゴミ捨て場に捨てられていました。
ヒラさんはまだ飛行機に乗っていなくて大阪の拘留所にいる、という情報を聞き、すぐに大阪に向かいました。大阪の拘留所で面会の手続きをすると、丸坊主のヒラさんがでてきて少し話すことができました。「いや~、隠れたんだけどねー。」と赤い目をしていつもより断然元気はなかったけれど笑顔で話してくれました。
ヒラさんたちは二度と日本には来られなくなりました。
私はその後、何度かネパールのヒラさん宅、デューマンさん宅を訪れ、ネパールで彼らに再会しました。でも、国家試験や就職など、自分の忙しさで、だんだんネパールへの足が遠のいて、彼らと疎遠になってしまいました。
「サラバ!」はすごい作品です。
冒頭の文は、幼少期をエジプトで過ごした主人公「歩」が、「ヤコブ」という彼にとって特別の存在となったエジプシャンの少年の家で家族に心から愛されたときのエピソードです。
物語は「歩」とたくさんの愛すべき登場人物で彩られます。
「歩」は1977年生まれ、私と同じ世代。地下鉄サリン事件、震災、信じられない惨事が起こった同じ時代を生きています。
2011年、エジプト革命。遠い国の出来事だと思って特に関心をもっていなかった大事件を「サラバ!」を通して身近に知ることができました。
「歩」の姉の言葉、「あなたの信じるものを誰かに決めさせてはいけないわ」は、心に響きました。
以上、よくわからない紹介になってしまいましたが、ぜひ、読んでみてください。
2020年09月20日 大西 桜
ヴォーンダ・ミショー・ネルソン 著
原田 勝 訳
「ここに知識がある。きみには、今日、知識に続く道を歩きはじめることより大切な用事があるかい?」
~第5部 1958-1966年 真実がもとでもめるなら、もめればいい。より~
暑い日が続きますが、お元気ですか?
暑いときには熱~い本を読むと、少し涼しくなったりするかもしれません。
皆さん、本屋のお店の人が店の前に立って大声でお客さんの呼び込みをしている姿って見たことがありますか?家電製品店や飲食店ではよく見るけれど、本屋の前ではあまり見たことがないですよね。本屋というものはわりとひっそりとして上品な場であることが多い気がします。
でも、ニューヨークハーレムのナショナル・メモリアル・アフリカン・ブックストアは違います!この本はその風変わりな本屋の開設者、ルイス・ミショーの生涯が描かれています。
著者のヴォーンダ・ミショー・ネルソンは15年以上にわたりルイスに関する様々な記録を追いかけ、ほぼ正確にその生涯を描き出しています。
ときは1930年代、ルイス・ミショーはアメリカにおいて黒人がなぜ成功しないか、ということを突き詰めて考え、「白人に抑圧されているからではない。黒人が自分のことを知ろうとしないからだ。黒人達に本を読ませることができれば、生活は変わるだろう。」
ということに行き着きます。そして黒人が書いた黒人についての本だけを売る本屋を開設します。彼は店の前で脚立にのり、「本を読め!読まなきゃだめた!お金がなければみるだけでもいい!」と通りすがりの黒人達に熱く訴えます。
当時の世間からは「黒人が本を読むわけがない。」と嘲笑されながらもミショーは必死で訴え続けます。ときには荷車に本を乗せ、通りの角で「本を読むというのはどういうことか」を道行く人々にしゃべります。
そのうちにルイスの訴えに耳を傾け、本を読みはじめる黒人達が少しずつ増えてきます。
冒頭の文は、高校を中退して職探しをしていた黒人少年スヌーズが店の前を通りかかったときにルイスに投げ掛けられた言葉です。はじめはドン引き気味のスヌーズ君でしたが、押しの強いルイスに一冊の詩集を渡されて手に取ります。そこから彼の世界が変わっていきます。
ルイスの情熱、凄いですよね!
あのマルコムXも登場します!マルコムは言わずと知れた1950~60年代黒人運動の指導者です。本書にはギャング時代のマルコムの写真、ナショナル・メモリアル・アフリカン・ブックストアの前で演説しているマルコムの写真も盛り込まれており、
それだけでも一見の価値があります。
マルコムに関しては、荒このみ著の「マルコムX 人権への戦い」もクリニックの蔵書です。またぜひ別の機会にご紹介したいです。
2020年5月、アメリカで発生した「ミネアポリス反人種差別デモ」は記憶に新しいですね。未だにこうなんだ...、と思ってしまいました。アメリカ人種差別問題は大変根深い問題ですし、それを語るのはとても難しいと思います。それでも無視をせず、まず「知ること」が大事です。
「ハーレムの闘う本屋」は、「知識」の大切さを教えられ、また人種差別問題について知るきっかけにもなる本です。
話はルポ風にまとめられていて、それがとってもリアルで思わず引き込まれます!大変読みやすく、絵も素晴らしい!パラパラと見るだけでも面白いです!
ぜひせひ手に取ってみてください!
2020年8月14日 大西 桜
ヴィカス・スワラップ (2005年 デビュー作)
子安亜弥 訳
「そのとき僕は、自分の中の変化に気づく。欲望が金の力で全部かなえられてしまい、何も望むものが残されていないというのは、どんな気持ちがするものだろう?欲望の欠如は金の欠如よりはましなのだろうか?」
~第11章 エクス・グクルッツ・オプクヌ(またはある愛の物語)100,000,000ルピー より~
「ぼくと1ルピーの神様」は、映画化された「スラムドッグ$ミリオネラ」のもととなった小説です。小説より映画の方をご存知の方が多いのではないか、と思います。でも、私は映画より断然小説の方が好きなのです!!
私の「電車乗り過ごし小説(降りる駅で降りるのを忘れて夢中になっていた本)」の中の一冊です。
学生時代、ネパールヒマラヤトレッキング目的の旅行のオプションで、友人女子3人でインドへタージマハル観光をしに行ったことがあります。そのときのインドでの数々の思い出…。圧倒的な暑さ、人の多さ、交通渋滞(車、バイク、リキシャ、牛、犬、ラクダ?!)、タクシー運転手さんの左手の6本の指、そのタクシーがエンストして皆で車を押したこと、またそのタクシー運転手に「見学してこい」とおろされた謎の寺院で靴を脱がずに入ったら係りの人にメチャクチャ叱られたこと、タージマハルのボディチェックで預けた荷物から電卓が盗まれたこと、リキシャがなかなか目的地に行ってくれないこと、物乞いの子供たちに付きまとわれたこと、店頭の肉や魚にたかるハエの多さ、露店のジュースを飲んだ友人が腹をくだしたことなどなど、たった2泊3日だったのになんだか疲れてしまい、カトマンズにいったん帰ったときには心からほっとしたことをよく覚えています。 ですが、この短期間のインドでの思い出は、後々振り返ると決して悪いものではなく、むしろこの滞在があって本当によかった、とすら思うことがあるのです。次から次へと起こった予期せぬ出来事は、大いに腹がたったこともあるけれど後から考え直して笑いに笑ったこともありました。私のそれまでの常識が覆されたインドという地は、「生きている」という実感を沸き起こしてくれた、というかなんというか、インドでは教えられることが非常に多かったのです。具体的に何を?と言われるとぜんぜんうまく言えませんが、きっとすごく本質的なことなのです。「わかる!」と言ってくれる人がいたら、ぜひじっくりお話したいですね。そしてタージマハルは非常に美しかったです。ひんやりとした大理石の感触は忘れられません。
ただ、こういったことを話してから「僕と1ルピーの神様」をお勧めする文を書いたりすると、「インドに惹かれるような人が読んだら面白いと感じる本なのだ」、と誤解を受けるかもしれません。でも決してそんなことはありません。むしろインドに全く興味のない人に読んでもらいたいです。
インドの抱える社会問題(貧富の差、宗教対立、カースト制度、虐待、売春、戦争、結婚持参金…)を背景に物語は軽快に進むわけですが、この本を読むことによってそういった問題を知ることができることはもちろん、私たちの中にある「貧しさ」に気づかされます。
タージマハルで無認可ガイドをしていた主人公が裕福な大学生四人組が五つ星ホテルで湯水のようにお金を使うのを見たときのつぶやきが冒頭にあげた文です。非常に感慨深いですね。
「ぼくと1ルピーの神様」は、文句なしに一読の価値のある本です。非常に読みやすく、おすすめいたします。
ヴィカス・スワラップの2008年の2作目、「6人の容疑者」もクリニックの蔵書で、これもものすごく面白いです。
2020年7月26日 大西 桜